2005年、ランドローバーが「レンジローバースポーツ」を発表してから20年が経過した。それと同時に、筆者が自動車運転中に命の危機を感じた唯一の瞬間も遠い過去となった。同車の発売に合わせ、ランドローバーは筆者に対し、ボリビアの「死の道路(Camino del Muerte)」を未完成車で走行する機会を提供した。しかし、その恐怖の原因は、危険な道路そのものではなかった。
筆者を襲ったのは、武装したコカ農民(cocaleros)の集団だった。なぜ、このような状況に陥ったのか。当時を振り返っても、その経緯は複雑極まりない。数か月に及ぶ計画の末、筆者は標高3,650メートルに位置するラパスに到着した。飛行機のドアが開くと、筆者は高山病の症状ではなく、酸素不足による胸の圧迫感を覚えた。
現地では、地元ガイドで医師であり登山家のウゴ・ベリオス、元G4チャレンジ参加者のリック・ベックマン、ランドローバー技術者のポール・ダボックが出迎えた。彼らは銀色のレンジローバースポーツと鮮やかなオレンジ色の元G4デフェンダー支援車両を用意していた。後に、この支援車両が筆者の命を救うことになるとは、誰も予想していなかった。
「死の道路」の過酷な現実
「死の道路」は、わずか64キロメートルの区間で300メートル以上の標高差を一気に下る、凸凹の gravel track(砂利道)だ。滝の下を通過し、密林を抜けるその道には、ガードレールはおろか、斜面の崩落や落石の危険が常につきまとう。同地域の死亡率の高さは、世界的に知られている。
出発前に、警察救助隊のヘンリー・ロメロ隊長から衝撃的な統計が明かされた。「8年間で約30件の事故に関わり、250人以上の被害者を目の当たりにしてきました。そのうち救助できたのは100人程度です。死者が多い理由は、この道を走るトラックやバスが過積載だからです。2002年には、4台のバスが崖下に転落しました」とロメロ隊長は語った。
当時、新しい道路の建設が進んでおり、やがて移動時間の短縮と事故率の低下が期待されていた。しかし、その新道が開通するまでは、ラパスと観光地コロイコ、そしてコカ農園を結ぶ唯一のルートが「死の道路」だった。コカ栽培はボリビアでは合法であり、葉はお茶や高山病対策に用いられる。しかし、裏では麻薬資金が動いており、米国DEAはその取り締まりを強化していた。
武装した農民との衝突
新たな警察駐屯地がチャンパック近郊に設置されると、コカ農民たちは「武装蜂起」とも言える抵抗を開始した。9日間にわたり、ウォルター・エスピホをはじめとする農民たちは、丸太や車両を使って道路を封鎖した。到着した筆者らは、封鎖解除を説得しようとしたが失敗。やがて、マチェテを手にした農民の群衆が集まり始め、一行は退却を余儀なくされた。
しかし、コロイコへの道はまだあった。南へ大きく迂回し、泥濘とした高原地帯や密林地帯を抜けるルートだ。当初は順調に進んだが、やがて状況は一変する。支援車両の存在が、筆者の命を救うことになるとは、この時まだ誰も知る由もなかった。