ロナルド・ローゼンバウムによる最新刊『ボブ・ディラン:物事は変わった』(原題:Bob Dylan: Things Have Changed)は、従来の伝記とは一線を画す。同書は、単なる事実の羅列ではなく、ディランの作詞術とその作品に込められた倫理的、哲学的、宗教的なイメージや執着を深く掘り下げた「ある種の伝記」とでも呼ぶべき一冊だ。
ローゼンバウムは、長年にわたり文学的分析と歴史的・伝記的要素を融合させた独自の手法で知られる評論家である。本書では、ディランがアメリカの言語、思想、態度を再構築した過程を追究し、特に「神義論(theodicy)」と「神との対話」という視点から、その芸術的・思想的独創性を解き明かす。一般的なディラン讃歌に包まれた伝記とは異なり、彼の「唯一無二さ」に迫る内容となっている。
本書の執筆を機に行われたインタビュー(抜粋・編集済み)では、ディランの歌詞、声、音楽、そして作品に込められた倫理的・哲学的メッセージについて議論が交わされた。まず最初に取り上げられたのは、最も議論を呼ぶディランの特徴の一つ──その声だ。
多くの人々が「ディランは歌えない」「声がない」と批判する一方で、ローゼンバウムはその声を徹底的に擁護する立場を貫く。YouTubeのコメント欄には今も「この男は歌えない!」「声がひどい!」といった非難が絶えないが、ローゼンバウムはこう反論する。「あれは鉄鉱石のバケツのような声だ。ラフで人間的な響きがある。他に類を見ない声だ」と。
さらに興味深いことに、ローゼンバウムは、かつてポーランド(現在はロシア領)出身のヴァイオリニスト、ヤッシャ・ハイフェッツの故郷と同じ地域に、ディランの祖先がいたのではないかと推測する。ハイフェッツのヴァイオリンが人間の声のように語りかけるように奏でられたように、ディランの声もまた、独特の人間味を帯びているというのだ。
その一方で、ディランの声に対する批判の多くは、彼が目指す「メロディアスなブルーバード的な歌声」ではないという誤解に基づいている。ローゼンバウムはこう指摘する。「彼の目指すものは、美しい鳥のさえずりではない。彼の声は、人間の声そのものなのだ」と。
また、ディランの楽曲をカバーするミュージシャンたちについても言及される。ローゼンバウムは、ディランのオリジナルを超えるカバーは「ジミ・ヘンドリックスによる『見張り台の向こう側で』の一曲のみ」と断言する一方で、優れた歌手であってもディランの楽曲を自身の解釈で演奏するとき、必ずしも彼のアプローチとは異なることに気づくという。
例えば、ローゼンバウムがディランの楽曲に初めて触れたのは、ジョーン・バエズによる「スペイン革のブーツ」のカバーを通じてだった。その曲の持つ後悔と悲しみのメッセージに強く打たれた彼は、後にディラン本人の歌声を聴くことになる。しかし、ディランの歌い方は、大掛かりなオーケストレーションや壮大なコーラスを用いるのではなく、あくまで「一人の相手に語りかけるように」歌われるのだ。
「ディランの真骨頂は、アメリカ全体に向けてではなく、個人に語りかけるそのスタイルにある」とローゼンバウムは語る。彼の声と詞は、アメリカの文化と言語を再定義し、今なお多くの人々の心に響き続けている。