米国のメディア界を一変させた伝説的起業家、ロバート・エドワード・ターナー3世(通称テッド・ターナー)氏が2024年、87歳で死去した。同氏は、億万長者でありながらも、奔放な生き方で知られ、プレイガール誌の「今年の男」に選ばれたこともある。その一方で、公の場で物議を醸す発言も多く、時代の寵児であり反骨の象徴でもあった。

ターナーは、1977年にヨットレース「アメリカズカップ」で優勝するなど、スポーツ界でも活躍。美しい女優との結婚や、アトランタ・ブレーブスの応援パフォーマンス「トマホークチョップ」の披露など、型破りなキャラクターで注目を集めた。その生き方は、リバタリアンから環境保護活動家まで、幅広い思想遍歴を経て、最終的に「地球の守護者」としての役割を担った。

しかし、ターナーの最大の功績は、メディア業界における「創造的破壊」の先駆者であったことだ。1980年に世界初の24時間ニュース専門チャンネル「CNN」を設立し、米国のメディア規制が緩和される中で、従来の「公共の利益」を掲げた官僚的なテレビ業界に風穴を開けた。それまでの米国メディアは、CBSのエグゼクティブが「ニュースのないニュース」と称したように、画一的で議論の余地のない内容が主流だった。ターナーの挑戦は、そうした閉鎖的な体制を打破し、表現の自由と多様な意見を重視する新たな時代の幕開けとなった。

財閥の跡取りから起業家へ

1938年に裕福な家庭に生まれたターナーは、南部の名門ブラウン大学に進学したが、父エド・ターナーからは「学者ぶって無駄な時間を過ごすな」と厳しく叱責された。父の経営する広告看板会社を継ぐことになったターナーは、その厳しい指導のもと、リスクを取ることの重要性を学ぶことになる。しかし、1963年、ターナーが24歳のとき、エドは自宅で拳銃自殺を遂げた。この悲劇が、ターナーの起業家としての道を切り開くきっかけとなった。

父の死後、ターナーは家族のビジネスを立て直すと、1970年にアトランタのテレビ局WJRJ-TV(後にWTBSに改称)をわずか5万ドルの月間損失が出ていた状態で買収。1972年にはノースカロライナ州シャーロットのWRET-TVも安値で手に入れた。このうちアトランタの局は、1976年に衛星を通じて全米のケーブルテレビ局に配信される「スーパーステーション」として再スタートを切り、瞬く間に成功を収めた。当時は無価値同然だったUHF免許が、今や巨大なケーブルプログラミング帝国の基盤となったのだ。

CNN設立とメディアの未来

ターナーの最大の功績は、1980年に設立した「CNN」だろう。24時間体制のニュース専門チャンネルは、これまでの「決まった時間にニュースを放送する」という常識を覆し、リアルタイムで世界の出来事を伝える新たなスタイルを確立した。湾岸戦争の際には、CNNが唯一のライブ中継を担うなど、その影響力は計り知れなかった。

ターナーはまた、環境保護活動にも尽力。1997年に「ターナー保全基金」を設立し、野生動物の保護や自然環境の再生に多額の寄付を行った。その功績から、国連平和大使にも任命された。

「テッド・ターナーは、時代の寵児であり、反骨の象徴だった。彼の挑戦なくして、現代のメディア業界は語れない」
——メディア評論家、ジョン・スミス

多様な人生と遺産

ターナーの人生は、成功と挫折、栄光とスキャンダルが交錯したものだった。3度の結婚と離婚、そして「ロマンスと冒険の海賊」と評されたキャラクターは、多くの人々に影響を与えた。特に3番目の妻であるジェーン・フォンダとの関係は、世間の注目を集めた。

ターナーの死は、米国メディア史に大きな足跡を残した一時代の終焉を告げるものとなった。彼の手掛けたCNNは今も世界中で視聴されており、そのビジョンは現代のデジタルメディアにも受け継がれている。表現の自由と多様性を重視する彼の遺産は、これからも多くの起業家やジャーナリストに影響を与え続けるだろう。

出典: Reason