ニューヨークで開催された「ドリュー・バリモア・ショー」に出演したレナ・ダンハム(2026年4月14日撮影)。かつて2010年代に「問題児」として数多くの論争を巻き起こした彼女は、新たな自伝『フェイムシック』(Famesick)で再び注目を集めている。しかし、今回の物語はこれまでとは異なる反響を呼んでいる。
ダンハムは、若き日の成功がもたらした精神的・肉体的な負担について率直に語っている。特に2012年に放映された代表作『ガールズ』のヒットにより、彼女への批判は過熱。慢性疾患(子宮内膜症とエーラス・ダンロス症候群)と向き合いながら、オピオイド依存や自己破壊的な行動に陥ったと告白する。その一方で、当時のメディアや批評家たちは、ダンハムを「象徴」として扱い、人間性を無視したバッシングを繰り返した。
「私たちはレナ・ダンハムに謝罪すべきだ」──再評価の波
ダンハムへの批判が再検証される中、かつての「加害者」を自認する批評家たちが次々と謝罪を表明している。
- レイチェル・サイモン(MS Now):「ダンハムは確かに欠点のある人物だが、私たちの憎悪や完璧さへの要求は過剰だった。謝罪が必要だ」
- ソニア・ソライヤ(スレート):「『ガールズ』が自身の自己嫌悪を刺激したと気づき、当時の批判が間違っていた」
- デイヴ・シリング(ガーディアン):「かつてダンハムを攻撃していた一人だが、今では謝罪したい。彼女は社会の犠牲者であり、象徴に祭り上げられた存在だった」
これらの発言は、ダンハムが直面した「キャンセルカルチャー」の問題を浮き彫りにしている。SNS時代の過剰なバッシングは、彼女の健康をもむしばみ、芸術家としての活動に影を落とした。
時代の反省──「象徴化」される女性たち
ダンハムのケースは、1990年代から2000年代にかけてのモニカ・ルインスキー、ブリトニー・スピアーズ、パリス・ヒルトンらに対するバッシングと類似点がある。当時のゴシップメディアは、しばしば「心配するふり」を装いながら、女性たちを攻撃していた。今や、その背景にあった性差別的な構造が明らかになりつつある。
ダンハムの物語は、時代の反省を促すものだ。過剰なバッシングがもたらす負の連鎖を断ち切るために、私たちは何を学ぶべきだろうか。
「ダンハムは人間であり、失敗を許される存在だった。私たちが彼女に求めた完璧さこそが、問題だったのだ」
——デイヴ・シリング(ガーディアン)