「観客がキャラクターを好きになるには、その仕事が上手いと示せ」というジンクスがある。たとえ性格に問題があっても、世界一の銀行強盗なら、その腕前には認めざるを得ない。一緒に過ごしたくない相手でも、その技術を観るのは面白い。そのため「有能ポルノ」というジャンルすら存在する。

ところが、ギイ・リッチー監督の最新作『グレイ』は、その「有能ポルノ」の面白さを奪い取ってしまった。監督は長年「仕事が上手いキャラクター」という手法を追求してきたが、今作ではそれが陳腐化し、息切れしている。作品は鉄板のような冷たさと、どこか Generic な「カッコよさ」に溢れ、まるで退屈の町「ダルズビル」への片道切符のようだ。そして、その被害者となったのは、豪華キャストたちだった。

退屈の極致に挑む豪華キャスト

『グレイ』は、Eiza González が演じるレイチェル・ワイルドを中心に展開する。彼女の肩書は「世界で最も高給取りの闇金業者」。億万長者の悪党に、10億ドルを返済させるのが目的だ。そのために、2人の凄腕部下を従えている。

Jake Gyllenhaal はブロンコ役。Henry Cavill はシド役。二人とも、とにかく名前がカッコいい。レイチェルの作戦は、悪党の財産を徹底的に締め上げ、最終的に支払いを迫るというもの。そのために、汚職会計士の盗聴や、街中での銃撃戦など、数々の Dirty Work を部下に任せる。

映画の前半2/3は、超クールなアンチヒーローたちが「カッコいい計画」を練り、時折実行する。そして後半は、監督が序盤から仕掛けていた追跡シーンが延々と続く。そこには、巧妙に仕掛けられた罠や秘密のトンネルが張り巡らされている。ただし、その追跡シーンは、本編の3ヶ月後に設定されている。その間、罠が解除されずに残っていた理由は…奇跡でもあったのか?

「有能ポルノ」の限界

『グレイ』に描かれているのは、ただ「自身の slick さ」だけ。それも完璧に。効率的なカメラワーク、トロピカルな空を背景にした派手なシャツの数々、そして何よりも、全員が仕事が上手すぎる。しかし、その「有能さ」が逆に観客を遠ざける。観客は、キャラクターが仕事で活躍するのを見たいのではない。その仕事に意味があり、観客も世界も、そしてキャラクター自身も「やる価値がある」と感じられるからこそ、応援したくなるのだ。

残念ながら、『グレイ』にはそのどちらも欠けている。Eiza González は、わずかなチャンスでキャラクターに命を吹き込もうとしているが、それも数回、数秒に過ぎない。彼女は死と隣り合わせの状況に置かれるが、部下たちとは違い、暴力に慣れていない様子が見て取れる。計画を立てる時は冷静なのに、いざ実行となると…。果たして、これは監督の意図なのか、それとも単なるミスキャスティングなのか。

出典: The Wrap