自動車愛好家にとって、名車をテーマにした映画は常に人気のジャンルだ。強盗映画、ロードムービー、アクション、レース映画など、数多くの作品が存在する。また、エンツォ・フェラーリ、フェルッチオ・ランボルギーニ、ヘンリー・フォード、カール・ボルグヴァルトといった実業家の半生を描く自動車伝記映画も人気を博している。
そんな中、1988年に公開された映画「タッカー:ザ・マンと彼の夢」は、自動車業界に革新をもたらそうとした実業家の波乱万丈の人生を描いた傑作として知られている。監督はフランシス・フォード・コッポラ(「ゴッドファーザー」三部作、「地獄の黙示録」)。映画は、第二次世界大戦後の混乱期に自らの自動車会社を立ち上げようとしたプレストン・タッカーの闘い、彼に対抗する陰謀、そして最終的に彼の会社がわずか51台の車を製造した後に崩壊に至るまでの過程を克明に描いている。
タッカー48:革新的な安全技術の数々
タッカーの物語はすでに多くの文献で紹介されているが、その要点をまとめると、プレストン・タッカーは1940年代にあって、乗客の安全を最優先に考えた革新的な自動車を作りたいと夢見ていた。彼の構想した「タッカー48」には、以下のような斬新な機能が搭載される予定だった。
- 空力的なボディデザイン
- リアエンジンレイアウト
- 燃料噴射装置
- ディスクブレーキ
- シートベルト
- パッド入りダッシュボード
- 埋め込み式計器類
- 衝突時の安全性を高める「クラッシュチャンバー」
- 割れにくいガラス製のポップアウト式フロントガラス
- ゴム製サスペンション
- ステアリングと連動するフロントフェンダー
当時としては画期的なこれらの機能のうち、燃料噴射装置やディスクブレーキは技術的に難しすぎると判断され、フロントフェンダーはステアリングと連動する代わりにセンターヘッドライトが採用された。また、シートベルトは「安全性をアピールする」との理由で販売戦略上除外された。それでもなお、タッカーの多くのアイデアは実現され、リアエンジンにフラットシックスエンジンを搭載したタッカー48は、1947年に1948年モデルとして生産に入った。
巨大自動車メーカーとの熾烈な闘い
タッカー・コーポレーションは、第二次世界大戦中にB-29爆撃機を製造していたシカゴの巨大工場をリースし、新車の生産に着手した。しかし、新しい自動車をゼロから開発することは極めて困難な道のりだった。戦後の自動車市場は厳しさを増しており、タッカー・コーポレーションはわずか3年で経営破綻に追い込まれる。
タッカーの失敗の原因については、さまざまな見方がある。一つは、デトロイトのビッグスリー(ゼネラルモーターズ、フォード、クライスラー)やミシガン州選出の上院議員ホーマー・ファーガソン、そして米証券取引委員会(SEC)が結託し、新興企業を抑圧しようとしたという陰謀説だ。別の見方では、タッカーとその仲間たちが資金調達のために行った、ラジオや旅行用ケースの販売といった疑わしい手法が原因とされる。いずれにせよ、1949年初頭にタッカーと複数の幹部が詐欺容疑で起訴され、わずか36台の車が完成した時点で会社は事実上の活動停止に追い込まれた。
タッカーの遺産:安全技術の先駆け
タッカーの挑戦は失敗に終わったが、彼の革新的なアイデアの多くは、後に自動車業界に受け継がれていった。例えば、シートベルトは1950年代後半にボルボによって実用化され、衝突安全技術は現代の自動車に不可欠な要素となっている。タッカーの物語は、技術革新と企業家精神がもたらす可能性と限界を象徴する歴史的な事例として、今なお語り継がれている。
「タッカーの物語は、単なる自動車の歴史にとどまらない。それは、夢を追い求める人間の闘いと、社会の抵抗との葛藤の物語だ」
— 自動車ジャーナリスト、マシュー・ティアニー