映画学校に通っていた頃、私は「Steenbeck」と呼ばれる編集機で1年生のフィルムを手編集する最後の世代の学生の一人だった。それだけでなく、何よりも重労働だったのが、熱い照明機材を運ぶ作業だった。

当時の学生たちは、友人の拙悪な「キッチンシンク・ドラマ」や、運が良ければB級ホラーのTroma作品のような低予算映画の撮影現場に、重いPelicanケースに入った照明機材を運び込んだ。その機材は重く、撮影現場をサウナのように暑くした。配線作業は危険なものから、実際に違法ギリギリの状態までさまざまで、作業には厚手の軍手が必須だった。触った指先の油分が原因でバルブが爆発することもあった。

裕福な学生は、高品質なArriの照明を使えたが、そうでない者は鶏の網のような見た目のLowellライトを使わざるを得なかった。(写真提供:Arri, B H)

映像学科の授業のかなりの割合は、15アンペアの回路がどれだけの照明を支えられるかを教えることに費やされた。これは、後の私の仕事である家電の配線修理に直結する貴重な経験となった。

やがて、Kino Flo(キノ・フロ)と呼ばれる大型蛍光灯型の照明機材がインディペンデント映画の現場で普及し始めた。学生たちは、この機材が若い体に「椎間板ヘルニア」をもたらさないことに喜んだ。その後、LitepanelsなどのLED照明が登場し、状況は一変した。しかし、タングステンライトやHMIは依然として現場で使われ続けている。12Kや18Kといった大型の照明は、フィラメントが過熱されることで生まれる独特の光の質を再現するのが難しいためだ。

「Diva Kit」は軽量で使いやすかったが、出力は熱いライトに及ばなかった。Kino Floも現在はLEDを主力商品としている。筆者もかつて右の写真のような初期型を所有していたが、その値段は「片腕を失うほど」高価だった。(写真提供:B H)

筆者が20代前半の頃、私は「パーマネント・レンタル」と呼ばれる、実質的に失業状態に近い生活を送っていた。当時、「プロデューサー」と「編集者」を掛け合わせた造語である「プレデター」という言葉が、奇妙なマルチタレントの映像関係者を指す俗語として使われていた。今では使われていないことを願う。

DSLRやスマートフォンが映像業界を破壊する前、そこそこのビデオカメラと搭載型の照明さえあれば、月に数件の仕事で家賃とビール代くらいは稼げた。筆者は貯金をはたいてPanasonic AG-HVX200を購入し、カメラに取り付ける大型の照明パネルを使用していた。しかし、その照明は不自然なまぶしさを放ち、すべてを「コップス」のような見た目にしてしまう上、800ドルから1,000ドルもした。今でも似たような製品は売られているが、わざわざ買う理由はない。

出典: Aftermath