2016年5月、イーロン・マスクは自身の慈善活動として3800万ドルをオープンAIに寄付した。しかし、この行為は後に彼が「取り消したい」と後悔する行動となった。世界で最も裕福な男でありながら、マスクの私設財団は法定の最低寄付率を下回る額しか支出していなかったからだ。

マスクは、自身のビジネスが「意識の光を拡大する技術」を開発することで本質的に慈善活動に貢献していると主張。後に公表された寄付額1億ドルや、非公式に提示した最大10億ドルとの乖離が明らかになった。それでも、当時のオープンAIにとってこの資金は画期的な支援であり、サム・アルトマン率いる非営利団体は人材確保と知名度向上につなげた。

しかし、両者の関係はやがて亀裂が生じる。マスクはオープンAIの理事を辞任し、寄付金の送金を停止。自らAI企業xAIを立ち上げた。2024年、マスクはアルトマンとオープンAIを提訴し、資金の不正流用と非営利目的の放棄を非難した。今週、カリフォルニア州オークランドの連邦地裁で裁判が始まるこの訴訟は、AIの過去と未来を巡る衝突でもある。

マスクは、オープンAIが「マイクロソフトの完全子会社化された営利企業」に転落したと主張し、かつての非営利団体の姿に戻すよう求めている。一方、アルトマンとオープンAIの社長グレッグ・ブロックマンは、マスクとの合意を破った事実はないと反論。マスクを「信頼できないライバル」と非難し、裏で自身の利益を追求する策謀を巡らせたと主張する。

この法廷闘争には、デザイナードラッグや消えたメール、ダボス会議やバーニングマンへの参加、そしてラリー・サマーズの存在など、さまざまなエピソードが絡む。しかし、根底にあるのは「権力」を巡る争いだ。誰が権力を握るのか、どう使うのか──。AIという技術が文明を向上させると約束するテック界の寡頭制支配者たちが、互いに信頼できない現実を露呈している。

AI覇権を巡る「敵の敵」からの決別

マスクとアルトマンの出会いは、シリコンバレーの特定の人物に権力が集中することへの恐怖からだった。2015年、グーグルとその子会社ディープマインドは汎用人工知能(AGI)の開発で圧倒的なリードを誇っていた。マスクは2025年の宣誓供述書で、当時の状況を振り返り、オバマ政権後期にラリー・ペイジの自宅に滞在中に交わした会話がきっかけだったと証言している。

マスクはAGI到達時に人類がどうなるのかを尋ねたが、ペイジは「種差別主義者」と非難し、AIは「我々の後継者」だと答えたという。マスクは後に、グーグルのAGI支配を恐れるようになったと振り返っている。

この共通の脅威を受け、マスクとアルトマンは2015年にオープンAIを共同設立。当初は非営利団体として、AI技術をオープンソースで公開し、人類全体の利益のために開発することを目指した。しかし、現在のオープンAIはマイクロソフトとの提携により、ChatGPTを中心とした営利モデルへと転換している。マスクはこの変化を「慈善の窃盗」と表現し、自らの資金が不正に流用されたと主張している。

テック寡頭制の信頼崩壊

この裁判は、テック業界における寡頭制の実態と、その内部での権力闘争を浮き彫りにしている。マスクとアルトマンの対立は、単なる個人間の確執にとどまらない。AI技術の未来を巡るビジョンの違い、そしてその技術がもたらす莫大な利益を誰がコントロールするのかという、根本的な対立構造が露呈している。

米国では現在、AIの物理的インフラやその評価に対する国民の反発が強まっている。そんな中、テック業界の寡頭支配者たちは、自分たちが「文明を向上させる」技術を提供していると主張しながら、互いに信頼できない状況が明らかになっている。この裁判は、AI技術の未来だけでなく、テック業界のガバナンスモデルそのものを問うものとなるだろう。