「学生の抗議はどこへ?」という問いの裏側
世界で深刻な出来事が起きるたびに、論客たちはこう問いかける。「学生の抗議はどこへ?民主党政権時代だけの話か?」と。失望した彼らは、もはや抗議する学生ではなく、ハサン・ピカーのような人物を延々と取り上げるしかない。しかし、その根底にあるのは「若者は抗議するかしないか、いずれにせよ問題だ」という偏見だ。
例えば、大西洋誌のライターは最近、トランプ政権によるイラン爆撃を受け、「左派寄りの大学生が革命を起こしてもおかしくない」と皮肉を込めて述べた。だが、ジョン・ハイト(ニューヨーク大学教授)やジェシー・ワッターズ(FOXニュース司会者)といった批評家たちは、学生を「イランの代理人として最も劣った存在」と揶揄した。しかし、この問いはむしろ公平なものだ。学生の抗議は本当に消えたのか?
大学と政府による「抗議の封じ込め」戦略
実態は、学生が黙ったわけではない。むしろ、大学当局と連邦政府が、抗議活動を抑え込むために膨大なリソースを投入してきたのだ。2024年春から秋にかけて、キャンパス抗議の総数は64%も激減した。その後、トランプ政権が再び発足すると、大学はさらなる弾圧策を強化した。
多くの大学が、屋外での拡声器や楽器の使用を許可制にし、特定時間帯に限定するなど、言論の自由を事実上奪う規則を導入した。教員でさえ、抗議活動への参加が原因で法的・懲戒処分の対象となっている。
連邦議会で大学幹部が召喚され、トランプ政権の教育に関する6つの大統領令への「協力」を証明させられた際も、彼らは「自らのキャンパスで混乱を許した」と弁明を余儀なくされた。また、反ユダヤ主義の申し立てや連邦資金の削減脅迫を受け、カリフォルニア大学バークレー校は学生の個人情報を連邦政府に引き渡した。他の大学は、学生への圧力が強まる中、目を背けるだけだった。
移民学生への圧力:最も過酷な現実
パレスチナ支援を表明した学生、マハムード・ハリルやルメイサ・オズトゥルクは、ICE(移民税関執行局)によって拉致された。モモドゥ・タールのような学生は、同じ運命を避けるために国外退去を余儀なくされた。ニューヨーク市立大学やニューヨーク大学では、イスラエルを批判する可能性のある卒業式スピーカーを排除する動きが続いている。スワースモア大学では、2年前の抗議活動に参加した学生が今も刑事裁判を控え、期末試験の準備どころではない状況だ。
移民学生にとっては、オンラインでイスラエルやパレスチナ、ジェノサイドについて発言するだけで、グリーンカードが取り消されるリスクが常につきまとう。
それでも続く抗議活動とその限界
こうした高圧的な環境下でも、抗議活動は完全に消えたわけではない。特にガザをめぐる抗議は根強い。4月24日には、オクシデンタル大学の学生数十人がパレスチナの旗を掲げ、コロンビア大学の抗議者と同じ安価な緑のテントを設置した。しかし、その規模と頻度はかつての勢いを失いつつある。
学生たちは今、抗議の自由を奪われた状況下で、いかに声を上げ続けるか模索している。大学と政府の強権的な抑圧は、表面上の「静けさ」を生み出したが、その裏で多くの犠牲が生まれているのだ。