1927年5月2日、米国最高裁判所は、強制不妊手術の合憲性を認める歴史的な判決を下した。この「バック対ベル事件(Buck v. Bell)」は、優生学に基づく州法の是非が問われた裁判であり、その後の米国の公衆衛生政策に大きな影響を与えた。

判決の背景と経緯

この事件は、バージニア州で制定された「遺伝性疾患の防止法」に基づき、知的障害を理由に不妊手術を強制された女性キャリー・バックが州を相手取って起こした訴訟であった。バックは知的障害を持つ母親のもとに生まれ、同様の状態と判断されたが、本人は手術に同意していなかった。

当時、米国では優生学運動が盛んであり、多くの州で「遺伝性疾患の防止」を名目とした強制不妊手術法が制定されていた。バージニア州もその一つであり、知的障害、精神疾患、犯罪歴のある者を対象としていた。

最高裁の判断とその影響

最高裁は、8対1の多数決でバック側の敗訴を認め、判決文の中で当時の最高裁長官オリバー・ウェンデル・ホームズ・ジュニアが有名な言葉を残した。

「社会は、自分自身を守るために、犠牲になる少数者を必要とすることもある。三代にわたる白痴の家系は、もはや社会にとって十分なものではない。」

この判決により、米国各州は強制不妊手術法をさらに推進する法的根拠を得た。その後、1930年代から1970年代にかけて、約7万人が強制不妊手術を受けたと推計されている。

歴史的評価と現在の見解

この判決は、人権侵害の典型例として現在では広く批判されている。20世紀後半には、多くの州で強制不妊手術法が廃止され、被害者への補償や謝罪が行われるようになった。1970年代には、米国政府がこの政策を公式に謝罪し、被害者に対する補償金の支給が始まった。

また、この判決は医療倫理や優生学の歴史においても重要な事例と位置付けられており、人権と公衆衛生のバランスをめぐる議論の出発点となっている。

出典: Reason