米国の歴史は、最高裁判所の判断が時として時代の進歩を阻害してきたことを示している。先月、最高裁が1965年の投票権法に致命的な打撃を与え、1960年代の第二次再建期から始まった多民族民主主義の基盤を揺るがした。その判断は、第一次再建期を終わらせるのに一役買ったかつての最高裁の論理と驚くほど似通っていた。
ロバート最高裁は、1890年代の暗黒の判決に見られる「偽りの無邪気さ」と「司法優位」の論理を借用している。2023年のルイジアナ州対カレイス事件におけるサミュエル・アリート判事の多数意見は投票権法を事実上廃止し、1896年のプレスリー対ファーガソン判決との類似性が指摘されている。プレスリー判決は、ジム・クロウ法を合憲とした歴史的な差別判決だ。
プレスリー判決とロバート最高裁の共通点
ロバート最高裁は、実質的に「ネオ連合主義」の裁判所と化しており、1880~1890年代の最高裁が採用した戦術と理念を繰り返し適用している。当時の裁判官たちは、平等の実現というビジョンを受け入れることができなかった。
1896年のプレスリー判決では、ルイジアナ州の鉄道における人種隔離法を合憲と判断し、「分離すれど平等」の原則を確立した。この判決は後にブラウン対教育委員会判決などにより覆されたが、当時の多数意見は、隔離法が「人種中立的」であり、白人と黒人の双方に公平に適用されると主張していた。
「二つの人種の強制的分離が有色人種に劣等の烙印を押すという前提は誤りである。もしそうであるならば、それは法の内容によるのではなく、有色人種がそう解釈するからにすぎない」
— 最高裁判事ヘンリー・ブラウン(多数意見)
しかし、この主張は、白人至上主義社会において隔離が不平等を生むことは明らかであり、強制隔離が劣等の烙印を押すという現実を無視していた。唯一の反対意見を述べたジョン・マーシャル・ハーラン判事は、ルイジアナ州の法律が持つ本質的な差別性を鋭く指摘した。
「このような法律の真の意味は、有色市民が白人市民と同じ車両に座ることができないほど劣っており、卑しい存在であるというメッセージを送ることだ」
— ジョン・マーシャル・ハーラン判事(反対意見)
ハーラン判事は、隔離法が「人々の慣習や伝統、公共の秩序と平和の維持」を目的としていると主張する多数意見の論理的矛盾を暴いた。最高裁は議会の判断に対して過度に deferential(敬意を払う)態度を示し、立法府の意図を尊重することで、実質的な差別を正当化していた。
現代における「分離すれど平等」の再来
1世紀以上を経て、ルイジアナ州は別の法律を制定した。同州の人口の3分の1が黒人であるにもかかわらず、黒人住民に多数を与える選挙区は6つのうちわずか1つにとどまるという新たな選挙区割り法案だ。これは、かつての「分離すれど平等」と同じく、形式的な中立性を装いながら実質的な差別を正当化する試みと言える。
ロバート最高裁の判断は、歴史の教訓を無視し、平等の実現を阻害する方向に進んでいる。多くの専門家は、この動きが米国の民主主義の基盤を脅かすと警鐘を鳴らしている。